早くも、あれからさらに1年が経ちました。
まちづくり団体の復興フォーラムが今年は仙台で行われるということで、卒業した私はそちらには参加できませんが、東北には足を運びたく一緒に車に乗せてもらいました。
正直に申しまして、この1年間、自身が何かアクションを起こしていたかというと、なかったと思います。それは、今回は一人別行動になるのでボランティアをしようとあれこれ調べていた時に、すでに参加者を大きく募って活動をしている地域もはあまりなく、あっても現場は少なく、当日にならないと活動があるかどうかはわからないというケースもあることに今更ながら気付いたからです。考えてみれば、既に前からそのようなことは言われており、いかに私がこの1年そのような情報に触れてこなかったかということが露呈したわけです。
そのような中で、何か活動できないかと各市町村のボランティア情報を調べていましたが、そこでは悩む部分もありました。現地までの足をどうするのか、深夜に到着し寝不足のままで活動をして良いのか、登録しても活動がないのではないかなど色々考えべきことがあり、果たして自分が貢献できる活動を、限られた時間の中で当日までに探し出せるのかということを考え倦んでいました。
個人レベルでの年に数日だけのボランティア、単に体を動かすという活動はもうあまりないのかもしれません。これからは息の長い高度なお手伝いが必要であり、それには、何が一番自分にできそうかということを、まずはしっかりと考えた上で動く必要があります。ただこれは、仕事や家庭その他もろもろがある中で見定め、続けていくのはやっぱり大変なことです。だから昨年も言ったように「忘れず、長く続ける」ことを第1に考え今回は、これからの進むべき道を確認し今後行動を起こすために、実際に足を運び、町を肌で感じ考えるための機会にさせてもらおうと決めました。
2011年5月29日、30日に震災関連ことを書きました。
そこに書いてあったように、本当はその後も続けて現地の状況などお伝えしようと思っていました。ですが、はっきりとは言い表せない色々な思いがあり、その日以降、このことについて触れることはありませんでした。2年弱経った今もそのときの思いが晴れたわけではありませんし、また、何をどう思っていたのかを今でも正確に表現することは出来ません。
町の様子は、マスメディアで報道されていますし、実際に足を運ばれている方もいらっしゃるでしょうから、ここで私が長々とお話しすることもありません。松島・石巻周辺は今回が初めてなので、当時がどのような被害にあったのかわからないのですが、1番感じたのは、町によって復興に差があるということでした。環境の問題か、人の問題か、お金の問題かそれぞれに要因が異なると思いますが、各地域のそれこそ数え切れないくらいの事情に違いにより、それが大きな差になってしまっていると思います。
遅々として進まない現状にやきもきしている住民の方々も多いと聞きます。
今後を見据えた町の大きな絵を描かないことには、同じことの繰り返しになってしまうので、そこに時間がかかってしまうのは苦しいけれど仕方のないことだと思います。ぜひ、忍耐強く自分達の町の展望を描いたいただきたいと願います。
今日は、私の思いを吐露する内容になってしまいました。
でも、ここを見ていただいているのは、おそらく自主的にのぞいてくださっている方々だと思いますので書かせていただきました。
皆さんもこれまで活動されてきたことを長く続けてください。
ホントにちょっとのことでも良いのです。世界中からから集った応援は大きな成果につながっていると思いますので、必要がないといわれるまでずっと続けていきましょう。
最後に、自身の確認のためにも、2年前にお届けするはずだった写真を載せておきます。