こんにちは。
致知出版社が配信する「偉人たちの一日一言」というメールマガジンがあります。
巷にあふれる人生論とか人間学、教訓みたいなものはすんなりとは消化できない面倒な性格ですが、このメルマガだけは心に響くものが多く、それを素直に受け入れている自分にも、配信している出版社にもいつもびっくりさせられます。
基本的には発行されている書籍からの抜粋ですが、これが毎日無料で送られてくるのですからありがたいことです。
以下、HPに掲載されているバックナンバーより転載してみます。
一日一言 平成26年9月15日(月) ─────────────────────── あるひとが言いました。 水は高いところから低いところに流れるもので、 ひともまたこれと同様、 放っておけば善きから悪しきに流れるものだと。 しかし、金次郎は 「それはまた、現実とはほど遠い観念論だ!」 と反論します。 そして、 「生きている水は上へと向かっているのではないでしょうか? なんならいまここで、貴方の頭をたたき割ってみましょうか? きっと血が上へと吹き出るはずでしょう」 と言い大笑いをしたのです。 ○ これも、わたしのお気に入りの話です。 一般に、水が高きから低きに流れるように、 人間もまた放っておくと高きから低きに流れやすいから 気をつけるように......といった教訓めいた話はよく聞きます。 しかし金次郎は、そうした世界観を持っていないことを ここで宣言しています。 たしかに、雨は天から地へと降下してきます。 そして地に落ちた雨は地中へと、さらに降下します。 しかし、たとえば樹木や人がそこに関与するならば、 水は「上へ」という方向性をおびはじめます。 地中の水を根が吸い、地上の幹や枝や葉へ。 地下深く井戸を掘り、地上の生活へ。 そして身体に取り込まれ、水となり血となり、 足の先や頭の先へ。 金次郎は、下ったものがふたたび上ろうとするこの方向にこそ、 「生命」や「暮らし」をみていたのではないか......。 「上へ」という力を、生命があり、人間がいる証だと 感じていたのではないか......。 そう思うのです。 ふざけているお話のようでもありますが、 わたしはこうしたところにこそ、 金次郎の人間観、人間へのつよいつよい信頼の思いを感じます。 放っておくと高きから低きに流れるのが人間だとする考え方は、 基本的な人間への信頼を欠いた発想です。 けれど、金次郎は違いました。 彼は信じていたのでしょう。 人間が、低きから高きへと向かって 生きている存在であることを。 人は、誰もがみな幸福になりたいと精一杯、 必死で生きていることを。 ここで彼が軽やかに、明るく笑うのもまた、 きっとそんな人間の善性への信頼や 他者へのたしかな希望を物語っているのだろうと思うのです。 『二宮金次郎の幸福論』(中桐万里子・著)