ちょっと嬉しい

こんにちは。

なんせ、今かなりのマイブームである「縄文」。

昨日たまたま、19日に書いた事に関連する記事を目にしました。

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富士山の火山活動が活発だった縄文時代中期、麓の縄文人が、降灰や土石流に遭いながら、その都度同じ場所で生活を再開していた可能性の高いことが、山梨県富士吉田市内での発掘調査でわかった。

祭祀さいしのような痕跡もあり、災害下でも富士山が縄文人の特別な崇拝対象だった可能性が専門家から指摘されている。

同市教委によると、富士山頂から北東17・5キロにある同市の上中丸かみなかまる遺跡で2011年度に行った発掘調査で、火山灰で埋まった縄文時代中期(約4600~4500年前)の竪穴住居跡が見つかった。注目されるのは、住居跡近くの火山灰のすぐ上から直径1メートル32、深さ70センチの穴が掘られ、中から丁寧に土器片や小石を並べ、細かい獣骨が混じった粘土で人為的に覆っているのが発見されたことだ。降灰後、すぐに人が戻り、祭祀のような行為を行った可能性が高い。

<読売新聞より>

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という内容でした。

19日の記事を書いた場所に訪れた時、以前の私なら「縄文人もこんな素晴らしい眺望の土地を選んで暮らしていたんだぁ」という時代を超えたその思いに痺れていただけだったと思います。

でも縄文時代の実態などを知るにつれ、インプットされた知識とそこから判断できる予測(あるいは妄想・・・)はものの見方を広げてくれました。

富士の噴火がまだあったであろうこと、大昔は富士より八ヶ岳のほうが高かったこと、縄文中期は気温が高く海岸線がかなり今の内陸部まで入り込んでいたことなど、たくさんの情報をグルグルと思い巡らせ、山を川を空を土地を見て歩き回りながら色んなことを考えていました。

その中で先にも書きましたが、住居と富士山の位置関係にはどうも意図があるという感覚があり、その時代噴火があったであろうことを思い出し、監視の意味合いもあるのではないかと思い至ったのでした。

まあ、この記事が富士山監視説を裏付けるわけではないのですが、少なくとも、何か狙いがあって富士の見える場所に住居を作った可能性は高いと予測できるのではないかと、そんなことにちょっと嬉しくなったのでした。


縄文ネタでは、こんな感じにテンションが上がってしまいす。  当分やめられません。。。

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