こんにちは。
山梨の中央道釈迦堂PAから歩いて行ける、釈迦堂遺跡博物館を訪れました。
見所の一つは大量の土偶です。
全国で出土している土偶数の1割を占めています。
土偶というのはほとんどは壊れていて、さらに遺跡内の破片を集めても全てのピースが揃わないそうです。
せっかく作ったものを壊すなんてと思ってしまいますが、逆に縄文人にすれば、割らなけりゃ意味無いよということなのでしょうか。
生・死についての思いをこめたもの、お守りなどと考えられていますが、自分たちの力が及ばないものに対する「願い」が感じられます。
遺跡からの見晴らしは抜群です。縄文時代も今と地形は大きく違いません。
彼らはこの景色を見渡しながら、どのようなことを考え続けていたのでしょうか?