こんにちは。
数ヶ月にわたり追ってきた、信濃毎日新聞の「神を曳く」シリーズが完結しました。
カエルを神前に供える「蛙狩り」、鹿肉を献じる「御頭祭」。
それに反対する愛護団体と、神事の深い意味を説こうとする一人の男性。
諏訪の猟師でも知る人のほとんどいない、殺生した獲物の成仏を祈る呪文「諏訪の勘文」。
そしてそれが残っている、遠く宮崎県椎葉村の地で行われている夜の神楽。
鹿の解体を手伝う、伊那市高遠町の老若男女。
インパクトのある大きな写真と記事によって、脳のシナプスが互いに結びついていくように、「縄文と弥生」「出雲と大和」「建御名方」「ミシャグジ」「75の鹿頭」「共生」といった、頭の中にある個々の塊が、少しずつ緩やかに繋がるのを大きく感じました。
今後更にスピードアップしていく超情報化社会では、「わからないことを心に留めておく」ことは、どうしても排除されがちですが、留めておくものが多いほど実は豊かな可能性が開けているともいえます。
記事の関係者の皆さん、どうもありがとうございました。