2014年9月アーカイブ
こんにちは。
本当に、人間にとっての災害はいつどこで起きるかわかりません。
さすがにここ伊那市でも、日曜日の朝は車にうっすらと灰が積もっていましたが、今はほとんど降灰はありません。また、このあたりの生活は普段と何も変わりません。
でも・・ 心の中は変えなければなりません。
東日本大震災によって全国的に火山活動が活発になっていて、これはその始まりかもしれないという話もあります。
以前、富士山が噴火した場合の降灰予測図を見たときに、自分なりに色々とシュミレーションをしてみましたが、正直言って他の災害に比べるとあまり現実味がありませんでした。
でも今回は、言葉としても身近に聞く御岳、また木曽地域のスキー場に何度も足を運んでいることもあり、急に目の前に突きつけられた感があります。
改めて、身近に考えられる火山災害について、知識と行動シュミレーションをしておく必要があるのではないでしょうか。決して他人事ではありません。
こんにちは。
ということで、当社も「ジオパーク・エコパークサポーターのいるお店」ですので、告知をいたします。
山好き地理好きにはたまらない?また、マニアックな企画もあるようです。
詳しくは、大会HP http://minamialps-mtl-geo.jp/pr/ にアクセス。
ちなみに私は、ネパールやチベットを踏査した角幡さんの講演に行く予定です。
以前記事にも書いた、かの地とこの地を結びつける私の感覚に似た話なんかあるとシビレちゃいますね。
また、まちの文化祭も同時開催されていますので、市街地もぶらぶらしてみてください。
あーそれから、新米、赤そばなんてのもベストタイミングですねぇ。
もうこれは出かけるしかない!
こんにちは。
シロアリ工事の目的は、シロアリにいなくなってもらうことです。
結果、一掃できたのならば仕事は成功です。
それではひとつ質問です。
工事の成否には関係ない「見た目」を気にする必要はあるorない?
正解は「ある」です。
これは、玄関土間の外周に予防用の白い粉剤をまいたものです。(黒アリ対策用)
目的はアリを寄せ付けないことですから、粉の厚みや幅が均一でなくても要はバリアになっていればよいわけです。
でも・・・ おうちの方の気持ちになればそれでは足りないのです。
工事に立ち会った方以外の家族は、そもそも突然現れたこの白い粉が何かわかりません。初見で「何だこれ、汚いなぁ」と思ったら、おそらく毎日気になってします。
また、来客者にもあまり見せたくないと感じたとしても、自分ではどうすることもできません。
その時きっと、「玄関なんだからもうちょっと綺麗にまいてくれたらよかったのにー」と思うことでしょう。
私たちは、そこまで考慮した工事を提供できなくてはなりません。
これは目に見える部分の話ですが、見えない部分での気遣いも色々あります。
まだまだ、習慣化してしまって気づかなかったり見落としていることはあるはずなので、毎回、素直で謙虚な視点をもって工事をさせていただこうと思っています。
何かお困りの際は、そんな当社へぜひご依頼を。 最後は宣伝です(笑)
こんにちは。
致知出版社が配信する「偉人たちの一日一言」というメールマガジンがあります。
巷にあふれる人生論とか人間学、教訓みたいなものはすんなりとは消化できない面倒な性格ですが、このメルマガだけは心に響くものが多く、それを素直に受け入れている自分にも、配信している出版社にもいつもびっくりさせられます。
基本的には発行されている書籍からの抜粋ですが、これが毎日無料で送られてくるのですからありがたいことです。
以下、HPに掲載されているバックナンバーより転載してみます。
一日一言 平成26年9月15日(月) ─────────────────────── あるひとが言いました。 水は高いところから低いところに流れるもので、 ひともまたこれと同様、 放っておけば善きから悪しきに流れるものだと。 しかし、金次郎は 「それはまた、現実とはほど遠い観念論だ!」 と反論します。 そして、 「生きている水は上へと向かっているのではないでしょうか? なんならいまここで、貴方の頭をたたき割ってみましょうか? きっと血が上へと吹き出るはずでしょう」 と言い大笑いをしたのです。 ○ これも、わたしのお気に入りの話です。 一般に、水が高きから低きに流れるように、 人間もまた放っておくと高きから低きに流れやすいから 気をつけるように......といった教訓めいた話はよく聞きます。 しかし金次郎は、そうした世界観を持っていないことを ここで宣言しています。 たしかに、雨は天から地へと降下してきます。 そして地に落ちた雨は地中へと、さらに降下します。 しかし、たとえば樹木や人がそこに関与するならば、 水は「上へ」という方向性をおびはじめます。 地中の水を根が吸い、地上の幹や枝や葉へ。 地下深く井戸を掘り、地上の生活へ。 そして身体に取り込まれ、水となり血となり、 足の先や頭の先へ。 金次郎は、下ったものがふたたび上ろうとするこの方向にこそ、 「生命」や「暮らし」をみていたのではないか......。 「上へ」という力を、生命があり、人間がいる証だと 感じていたのではないか......。 そう思うのです。 ふざけているお話のようでもありますが、 わたしはこうしたところにこそ、 金次郎の人間観、人間へのつよいつよい信頼の思いを感じます。 放っておくと高きから低きに流れるのが人間だとする考え方は、 基本的な人間への信頼を欠いた発想です。 けれど、金次郎は違いました。 彼は信じていたのでしょう。 人間が、低きから高きへと向かって 生きている存在であることを。 人は、誰もがみな幸福になりたいと精一杯、 必死で生きていることを。 ここで彼が軽やかに、明るく笑うのもまた、 きっとそんな人間の善性への信頼や 他者へのたしかな希望を物語っているのだろうと思うのです。 『二宮金次郎の幸福論』(中桐万里子・著)
こんにちは。
「秋茄子は嫁に食わすな」
こちらはえらーく長いこと待っていますが、5月に播いた種がようやく秋になって初収穫できそうな感じです。自家栽培の夏ナスはこれまで全く口にできていません。。。直播って、あ~ こんなにも時間がかかるものなのでしょうか・・・
芽が出てから本葉4枚ぐらいで成長がストップし、そこから枯れもせず育ちもせず一体何が起こっているのかもわからず時が止まったかのようでした。
7月の長雨でようやく成長が再開し、4ヶ月たってやっと花が咲きました。
これから秋茄子の時期なのですから、ちゃんと収穫できると信じています。おいしいのをお願い!
こんにちは。
私だったら、このチラシがパッと目に入ったら、まずは胡散臭くないかどうかと疑ってかかります。
それ程、普段から募金や寄付については用心しています。残念ながら、世の中、善意を悪用する輩がいるということは事実だからです。
この、あいこちゃんのことについては、どこかで何となく目にしていたと思います。今日新聞の記事でその内容を理解したと同時に、自分の子供と同年代であることが心を大きく揺さぶりました。
でも前述したように、用心の為、はやる心を抑えて下調べをしました。本当は、本人や家族などと会って確かめるのが一番ですが、そんな迷惑なことはできるわけもなく、入手できる情報から判断するほかありません。
そして、後はエイヤッということで心を決めて、ちょうど会社からすぐ近くの長野日報伊那支社が窓口になっていたので持参しました。
色々な思いはあります。
世の中には、同じような病気に苦しんでいてもこのような金額を集めることが不可能な人々が世界中には大勢います。
設定金額の内訳が記載してありますが、それが妥当なのかどうか私には判断できません。
日本で難しいなら海外で手術、という流れも手放しで賛成するわけでもありません。
でも、隣町の子が苦しんでいると思うと胸はキュンとしてしまいます。
この記事は、皆さんに募金を勧めるものではありません。
どのように感じどう行動するかはご自身で判断ください。
ここで一度立ち止まり、考え、何かアクションを起こしていただけたら幸いです。
でもきっと、すでに行動している人が結構いるのじゃないかと実は思っていたりします。
こんにちは。
ある日、ハチの駆除でうかがったお客様との会話。
「もし、シロアリについて心配なことが出てきたらまたご相談くださいね。特に、訪問販売には気をつけてください」
「実は、家の半分を〇〇〇〇〇〇〇で工事したんです。その時120万かかったので、残りをどうしようかと思ってるのです」
「んっ 120万? (ざっと建坪を確認してから)確認ですけど、12万ですか?」
「いえ、120万です」
「・・・・・・・」
「何か機械を取り付けましたか?」
「いえ何も」
「とすると、薬の散布のみですね・・・・・」
あえて汚い言葉を使います。これはボッタクリです!!!
こんなことが名の知れた大手企業でまかり通っているのです。
ここまでひどいことが行われているなんて、これには今まで以上にビックリしました。
会話はさらに続きます。
「お隣さんはネットで一番安いところに頼んで45万だったようだよ」
「んっ 45万? (ざっと建坪を確認してから)うーん、そんなにかからないはずなんだけど・・・」
自社で取り扱う仕事でありながら、この業界一体どうなってんの?と疑いたくなる話です。
良心の呵責という言葉はすでに存在しないのか。